2010年01月19日

オバマジョリティーの矛盾5

オバマジョリティーについて、
自分の考え方がようやくまとまってきた、
というか身体で物を言えるような感覚になってきた。

一番大切なのは、
平和という言葉の主語をきちんと言わなきゃいけないということだろう。
誰のための平和なのか。
我々日本人は、
平和というとすぐに全世界の、と考える。
けれど、
世界的にはそんなことはないのが現実だ。
オバマは何のために核兵器を廃絶しようとしているのか。
もちろん、アメリカのためだ。
俺たちはアメリカの平和を守るオバマを応援するのか?
それとも、世界の平和を守るために行動するのか?

核兵器廃絶という大きな目標があるとはいえ、
同床異夢であるということは明らかにするべきではないか。
オバマのオスロ演説の後、
広島は直ちにそのことを明確にすべきだと思い、
俺は年末に書いたコラムでそのことに触れた。

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◇広島だから言えることがある
 今年、核兵器廃絶に関するニュースの中心はオバマ米大統領だったが、
こと広島にとってオスロ演説の戦争容認発言は受け入れられないのではないか。

 同演説からは、世界平和を米国の力で守るのは正義、という姿が見えた。
しかし02年の広島平和宣言は
「米政府には世界の運命を決定する権利はない」と指摘している。

 原爆は戦争が生んだ。
核兵器を廃絶しても戦争を容認すれば、いずれ歴史は繰り返す。
核抑止、戦争容認論がある中で核兵器廃絶を実現するには、
世界平和を守る、米国をも巻き込んだ新たな仕組みが必要ではないか。

 ノーモアヒロシマ、ノーモアウォー。
核兵器廃絶を唱えながら戦争を容認せざるを得ない米国に対し、
五輪招致の前に、広島だからこそ言えることがあると思う。

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五輪の言うところの平和は、世界平和かもしれない。
しかし、オバマジョリティーに代表される広島の姿勢は、
アメリカの求める平和への支援という誤解を受ける可能性が高いものだ。
そんな都市が主語なしに「平和」という言葉を使うことの危険性は解消されていない。
俺は、世界の平和がいい。
ここのところを曖昧にしたままでは、
今なおアメリカの攻撃下にある人々は我々広島市民のことを誤解するだろう。
俺はそういう誤解は嫌だ。
posted by ムーンライダー at 12:58| 広島 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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